自閉症で言葉を話せない支援級1年生たろうと一緒に
夏休みの終わりに教科書の音読練習に取り組んだ。
本来音読は夏休みの宿題のひとつだが
言葉を話せないたろうは、
’うさぎ’、’ふらいぱん’などの単語カードの練習で代替していた。
単語レベルでは(母音中心ではあるものの)読めてきたし、
短いお話を読んでみよう、という母の挑戦心もあった。

ところが始めて1行も読まないうちに
たろうの顔が曇り、泣き始めてしまった。
だんだんと大泣きになってしまい、母は困惑した。
夏休み中、ひらがな練習も計算カードも嫌がらずにやっていたのに。
ひらがなだって手先が不器用なたろうはすべて自力で書けるわけではないが
それでもがんばって書こうとしていたのに・・・・。
音読は『頑張ること自体が嫌だ』、という意思表示だった。

言葉を話せないたろう。
でも人に伝えたい気持ちが強く、あらゆる手段を使いなんとか意思表示している。
人が好き、コミュニケーションもとりたい。でも話せない。
もうちょっと話せるようになったら
コミュニケーションがもっと取れるのに。
たろうも伝えたいことが伝えられるだろうに。
そう思ってなんとかしたい母の気持ちだけが先行してしまった。
そこまで話すということに苦手意識、嫌悪感をもっているとは思わなかった。
うまく発語できなくても、口にだしているうちに
言えるようになるのでは、という願いが母にはあった。
きっと今まで嫌な思いをたくさんしてきたのだろう。
小学校の授業、母や父との音読練習での嫌な思い。
お友達から話せないことをからかわれて嫌だったかもしれない。
(担任の先生からそういうことがあったとは聞いている)
そうか。この子は話せないが言葉の理解はかなり進んでいるので
話せない状況を周りがなんといっているのかたぶん理解している。
それを知って、話す事自体にストップがかかってしまっている状態なんだ、と。
6歳で話せないとこういうこじれが生じてしまうのか、と。
その後、以下の例を出して説明したら少しは理解してくれた。
母「カービィ(ゲーム)だってはじめうまくできなかったでしょ。
それでも何回かやっていたら上手くなってクリアできたよね。
音読も上手くやらなくてもいいんだよ。
やっていくうちに上手くなるんだから。まずやってみようよ。」
聞いて理解する力は以前よりもついているように感じる。
そして、ちょっと脅しでよくないとは思いつつも
母「テレビみたいといっても、やることできていないと観られないよ。
宿題の音読だからね。やることやらないでしたいことをするのはダメ。
音読やらなくてもいいけど、テレビも観られないよ、どうする?」
そうしたら自分からやる、と言い出した。
そして、音読読む箇所の変更を申し出てきた(文量が少ない話をたろうが選択)。
自発的に読もうとするのは素晴らしいためその申し出を快諾。
無事に本日の音読練習は終了した。
(途中褒めて褒めて褒めまくったし、終わってからもハイタッチをした)
たろうの音読(というか発声するという)トラウマが分かったので、
これからどう関わっていけばいいのか思案中。。。
思っていたより闇深い。